弁護士ドットコム株式会社 Creators’ blog

弁護士ドットコムがエンジニア・デザイナーのサービス開発事例やデザイン活動を発信する公式ブログです。

WCAG 2.1日本語訳の更新と今後のお話

弁護士ドットコムの太田です。ウェブアクセシビリティ基盤委員会では翻訳作業部会の主査をしております。翻訳作業部会については、以前「WCAG 2.1の翻訳とWAIC翻訳作業部会のご紹介」という記事でご紹介しましたので、興味ある方はそちらもご覧いたたければと思います。

ウェブアクセシビリティ基盤委員会はWCAG 2.1と関連文書の日本語訳を公開していますが、2023年8月、その日本語訳を更新しました。

この記事では、今回の更新のポイントと、今後の予定についてお知らせします。

2023年8月更新のポイント

今回の更新では、訳語の見直し、W3Cの最新の文書への追随などさまざまな対応をしています。詳しい差分はGitHubで確認できます。

比較的大きな変更点として、達成基準の名称説明文の重要箇所について、いくつか訳語の見直しを行いました。

  • “Meaningful Sequence” を「意味のあるシーケンス」に
  • “not just the endpoints” を「終点だけではない」に
  • “Label in Name” を「ラベルを含む名前 (name)」に
  • “Concurrent Input Mechanisms” を「入力メカニズムの共存」に
  • “Name, Role, Value” を「名前 (name) ・役割 (role) ・値 (value)」に

それぞれの内容について簡単にご説明します。

“Meaningful Sequence” を「意味のあるシーケンス」に

達成基準 1.3.2の名称 "meaningful sequence" の日本語訳を、「意味のある順序」から「意味のあるシーケンス」に変更しました。

この達成基準は、コンテンツの見た目の順序読み上げ順序が食い違ってしまい、読み上げ時に意味不明となるような問題を扱っています。しかし、問題は順序だけではありません。単語内に余計なスペースが入っていることで正しく読み上げられないケースも守備範囲となっています。

この場合、単語の「順序」そのものは変更されていません。間に余計なものが挟まる、という順序とは直接の関係がない問題も扱っているのです。

"sequence" には「順序」という意味のほかに「一連の流れ」や「連続した一続きのもの」といった意味合いもあり、前後とのつながりがイメージされるニュアンスです。たとえば、情報システムの設計では「シーケンス図」という図面を作ることがありますが、これも前後のつながりがわかるように記載したものです。「順序」という訳語では、このようなニュアンスがうまく出ておらず、つながりが途切れるケースをイメージしづらいという問題がありました。

この訳語をどうするか、さまざまな議論をしました。議論の一部は以下で見ることができます1

結果としては、あまり良い訳語が浮かばなかったこと、日本語でも「シーケンス」というカタカナ表記が使われることから、「シーケンス」とカタカナ書きすることにしました。

“not just the endpoints” を「終点だけではない」に

達成基準 2.1.1「キーボード」 の説明文にある “not just the endpoints” を、「始点から終点まで続く一連の」から「終点だけではない」に変更しました。

以前は、"the path of the user's movement and not just the endpoints" というフレーズを、「利用者の動作による始点から終点まで続く一連の軌跡」と訳していました。しかし、「始点」に相当する単語は原文にはありません。原文には「始点から」という要件がないのに、日本語にはその要件があるように読めてしまうと、英語と日本語とで要件が異なることになってしまいます。

そこで、原文と意味を揃えるために、原文にはない「始点から」を削除することとしました。以下に議論の一部があります2

“Label in Name” を「ラベルを含む名前 (name)」に

達成基準 2.5.3 の名称 "Label in Name" の日本語訳を、「名前 (name) のラベル」から「ラベルを含む名前 (name)」に変更しました。

「ラベル」「名前 (name)」は少しややこしいので、簡単に説明しておきましょう。WCAG には「ラベル」と「名前 (name)」に関連する達成基準が複数あります。

ここでいう「ラベル」は、主にユーザーに対して視覚的に提示されるものを指します。たとえば、テキスト入力欄の上に「メールアドレス」というテキストがおいてある場合、それはラベルに該当します。それに対して、「名前 (name)」は、プログラム、特にブラウザや支援技術に対して提示されるものです。

多くの場合、両者は同一のテキストになるのですが、異なる指定をすることもできます。たとえば、以下のようなHTMLがあったとしましょう。

<label>メールアドレス: <input type="text"></label>

この場合、「ラベル」と「名前 (name)」はいずれも「メールアドレス: 」というテキストになります。しかし、以下のようにすると……。

メールアドレス: <input type="text" aria-label="電子メール">

この場合、視覚的には「メールアドレス」というラベルが見えますが、支援技術には「電子メール」という名前が伝えられることになります。

このような食い違いは混乱を招きます。たとえば、視覚的に見ているユーザーが「メールアドレスという欄に入力を……」と説明したとき、スクリーンリーダーの利用者には「電子メール」という名前で伝わっていますから、どの入力欄かわからなくなってしまいます。

また、画面を目で見ながら音声入力を利用しているユーザーの場合、ラベルを見て「メールアドレス」と発音して入力欄を指定しようとしますが、支援技術はこの名前を「電子メール」と認識しているため、うまく動作しないことが考えられます。

この達成基準は、このような混乱を避けるため、ラベルと名前を一致させることを求めるものです。とはいえ、完全に一致させる必要はなく、たとえば以下のようなケースは許されます。

<label>メールアドレス: <input type="text" aria-label="メールアドレス"></label>

この場合、ラベルは「メールアドレス:」、名前 (name)は「メールアドレス」となり、末尾のコロンの有無が異なりますが、この程度の差異によって混乱が起きることはないでしょう。音声入力でも、入力欄の名前の一部を発声すれば動作します。そのため、完全に一致していることは求めず、「含まれている」という要件になっているのです。

"Label in Name"という達成基準はこういった要求をしているわけですが、これを以前は「名前 (name) のラベル」としていました。しかし、それはわかりにくいという意見があり、以下のissueで議論になりました。

結論として、今回、これを「ラベルを含む名前 (name)」とすることになりました。

“Concurrent Input Mechanisms” を「入力メカニズムの共存」に

達成基準 2.5.6 の名称を、「入力メカニズム非依存」から「入力メカニズムの共存」に変更しました。

この達成基準は、コンテンツ側で入力メカニズムを限定しないことを求めるものです。たとえば、マウスでしか操作できない、タッチでしか操作できないといった機能があると、キーボードや音声入力で操作したい人には使えなくなってしまいます。

この達成基準の名称、原文では "Concurrent Input Mechanisms" なのですが、以前はこれを「入力メカニズム非依存」と訳していました。しかし、この基準が求めるのは入力メカニズムに依存しないことというより、制限しないことです。以下で議論を見ることができます。

"concurrent" をどう訳すのかが問題となりました。一般的には「並列」「同時」のような語を当てることが多いのですが、「並列入力メカニズム」「同時入力メカニズム」のようにすると、複数の方法で同時に入力するように読めて誤解を招きそうです。議論の結果、ひとまず「入力メカニズムの共存」とすることで落ち着きました。

“Name, Role, Value” を「名前 (name) ・役割 (role) ・値 (value)」に

達成基準 4.1.2 の名称 "Name, Role, Value" の日本語訳を、「名前 (name)・役割 (role) 及び値 (value)」から「名前 (name)・役割 (role)値 (value)」に変更しました。

これは単に、JIS規格の表記ルールに合わせて修正したものです。

JISのルールでは「・」(中点)と「及び」を並列で置くことはできないそうです。「・」ではなく「,」の場合は問題ないようで、実際、JIS X 8341-3:2016の規格票では、この達成基準は「名前(name),役割(role)及び値(value)」となっています3。そのようにしてもよかったのですが、「及び値」というものがあるように見えてまぎらわしいということもあり、純粋に「・」だけで区切ったほうがわかりやすいと考えました。

今後の予定

今回更新したのはWCAG 2.1の日本語訳ですが、WAIC翻訳作業部会では、最新版となるWCAG 2.2の日本語訳の作業を予定しています。2023年8月現在、WCAG 2.2は「勧告案 (W3C Proposed Recommendation)」というステータスになっています。

通常、勧告案になってから1か月ほどで勧告になるのですが、今回は寄せられたコメントに対応する必要が出てきたようで、少し遅れているようです。とはいえ、近いうちに勧告となることは間違いないでしょう。

これが勧告となり次第、本格的な翻訳作業を開始し、しばらくはそちらに注力する予定です。それはつまり、既存のWCAG 2.0やWCAG 2.1に対して大きな更新作業を行う予定がないということでもあります。WAICが公開するWCAG 2.1の日本語訳は、今回の更新を最終とし、今後は更新しない可能性が高いです (誤字の修正くらいはするかもしれません)。

そしていつもの宣伝ですが、WAIC翻訳作業部会では、作業にご協力いただける方を募集しています。

WCAG 2.2の翻訳に関わってみたいという方がいらっしゃいましたら、ご連絡ください。もちろん、WCAG 2.2に限らず、既存の翻訳の誤りなどをご連絡いただくだけでも大歓迎です。みなさまのご協力が翻訳の品質向上、そして日本のウェブアクセシビリティの向上につながります。今後ともよろしくお願いいたします。


  1. 実際には月例ミーティングにて口頭で議論しており、GitHubには議論の結果のみを書いている部分があります。そのため、このissueだけを見ても議論の過程はわかりにくいかもしれません。
  2. このissueは達成基準 2.5.1 の問題として立てたものです。が、途中で 2.1.1 にも影響する (そしてその影響の方が大きい) ことに気づきました……
  3. JIS X 8341-3:2016の原案はWAICが作成しており、基本的にはWAICのサイトで公開しているWCAG 2.0の日本語訳と同一のものになっています。ただし、最終的な規格化にあたり、日本規格協会の側で表現を調整しているケースがあり、細部の表記は一致していないことがあります。