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魅力的なインターネットと脳

魅力的なインターネットと脳のイメージ

明けましておめでとうございます。 @h13web です。
今年の読み初めは、ニコラス・G・カーの「ネット・バカ」でした。

原題は「The Shallows」

その扇動的な邦訳タイトルにより、引用時には原題の「The Shallows:What What the Internet to Our Brains」が併記されることが多いように思います。
訳者自身によると、これは本書のベースとなっている以下論文のオマージュだそうです。

バカから始まり Shallows (= 浅瀬、思慮が浅い人たち ? )や Stupid と、ページをめくりたい気持ちを掻き立てられながら、また 1 つ徳を積んでいましたが、ついに消化を試みたワケです。

普段、気になったことは都度調べ、そのままネットサーフィンに勤しみますが、本著においては、著者が執筆時そうしたように、オンラインへの接続を拒み精読しました。
ときにページを閉じ、思いを巡らせる時間はなかなかに贅沢で(病み上がりでボーッとしていただけのような気もしますが)、新年にふさわしい読書時間だったように思います。

脳の可塑性(かそせい)

「大人になると脳の成長は止まるというが、私はよく訓練しているから君たちの数倍英単語を覚えるのが早い」

ある先生が発した言葉をよく覚えています。当時「なぜ、ぼくらと比較するんだろう」と思う一方で「彼は覚えるの得意そうだしな」と妙に納得しました。
本著は、この体験に対する適切な理解をくれました。
すなわち、成人の脳は加齢とともに堅くなってはいきますが、それでも「とてつもなく可塑的( massively plastic )」であるということです。

まず文書をプリントアウトし、鉛筆で訂正を入れてから、タイプしてデジタル・ヴァージョンを改訂する。それからまたプリントアウトして、再び鉛筆で訂正を入れる。これを 1 日に 10 回くらい繰り返すこともあった。だが、ある時点で ─ しかも突然に ─ わたしの編集手続きが変化した。紙の上で書いたり直したりなど、もはやまったくできないと思った。削除キーやスクロールバー、カットアンドペーストの機能、アンドゥのコマンドがないと、どうしたらいいかわからなくなってしまったのだ。わたしは編集をすべてスクリーン上でやらざるをえなくなった。
ワープロを使うことで、自分自身がワープロになってしまったかのようであった。

著者の経験に共感される方も多いように思います。
ハンマーを持つことで自分の手をハンマーを使うようにしか使うことができなくなるように、双眼鏡を顔の前に持ってきたとき近くのものが見えなくなるように、わたしたちがテクノロジーを使うとき、無意識にその繋がりは強くなっていきます。
それは少しずつですが、確実にわたしたちの脳を変化させ、元に戻ることはありません。

メディアはメッセージである

マクルーハンの名文句の 1 つである本メッセージは本著でも引用され、その意図について著者の解釈を加えて補強していました。

この謎めいた警句を繰り返しているうちに、忘れられてしまったことがひとつある。それは、新たなコミュニケーション・テクノロジーが持つ変容のパワーを、マクルーハンはただ認め、祝福していただけではないということだ。
新メディアが登場するたび、それが伝える情報 ─ 「内容」 ─ に人々は必ずとらわれてしまうものだということを、マクルーハンは理解していた。

わたしたちは、新聞や、ラジオ、テレビや電話、さまざまなメディアを介して言説を見聞きしてきました。
日々作成されるコンテンツを消費し、ときに生産することを通じて、新しい知識に触れ深めています。
その活動はメディアによらず、インターネットは情報量を爆発的に増やし、知へのアクセスを容易にしたと理解しています。
しかし、長期的に見れば、わたしたちの思考や行動に影響を与えるのは、これらのメディアの伝える内容よりも、メディア自体であるというのがマクルーハンの見解です。

マクルーハンの理解によれば、新メディアはすべてわれわれを変えてゆく。
「重要なのは使い方だという考え方は、テクノロジーをまるで分かっていない鈍感なスタンスである。」

インターネットを利活用することで、特に長い文章を読んだり、深く思考したりすることが難しくなっているというところから本著は始まり、その変化に警鐘を鳴らします。
このテクノロジーは iPhone のように持ち運べるようになり、またショート動画のように短時間で楽しめるようになり、ますます我々のライフスタイルに入り込んできています。
絶えず変化するインターネットメディアの誘惑を前に、わたしたちは以前のような「読書」を選択するのでしょうか。

テクノロジーは批判され、受け入れられていく

人気 Podcast の Off Topic でも先日言及されていましたが、新しいテクノロジーが世に出てくるとき、まずは批判を受け、そこから最終的に受け入れられていくことは多くあります。

  • 自転車によって強い風を受けることで、顔のカタチが変わってしまう
  • 書籍を読むことで、変な発想が生まれるから社会的によくない
  • 電球は、明るすぎるから目によくない

例にあげればキリのない言説が、これまでも主張されてきたようです。

テクノロジーが趣味を「ムーブメント」へ変えた?【Off Topic Ep139】

過去の新聞記事などから「テクノロジー批判論説」を集めたウェブサイト Pessimists Archive Newsletter で確認してみるのもよいでしょう。

インターネットも、これまでさまざまな角度から批判されてきました。
いま批判されているものはなんでしょうか。考えてみるのも面白いかもしれません。

紙の書籍は消えるのか

新聞の需要が急増していた 19 世紀初頭、有識者は本の死を叫び続けていたそうです。
本は新聞の即時性に太刀打ちできないのではないかという主張です。
また蓄音機の出現により、音声メディアが支配的になるのではないかとインテリ層が論じたこともあります。
その後も、映画、ラジオ、テレビなど、致命的脅威と思われるあらゆるメディアに対して、本は生き残り続けました。

インターネットの出現により、紙の書籍は電子書籍に置き換わるのでしょうか。

印刷された本は、インターネット接続された電子デヴァイスに移植されると、ウェブサイトに非常に似たものへと転じる。
ネットワーク接続されたコンピュータにつきものの注意散漫状態が、本の言葉を包んでしまうのだ。
電子書籍の読まれ方は、その印刷版の読まれ方とは非常に異なったものになるだろう。

情報はさらにリンクで結ばれ、 Zettelkasten などのメモ術で、よりアウトプットを補強できるように進化し続けていくことでしょう。
冷静に考えれば、それは紙の書籍を置き換えるものではありません。

しかし、インターネットが消し去るものは、わたしたちの脳を書き換えるものは、確実にあるのでしょう。

作り変えられていくわたしたち

われわれが感覚として記録するもの、記憶として蓄積するものが、脳の構造自体に物理的刻印を残してほしくはないとわれわれは望んでいる。
もしそうではないとしたら、自己の一貫性が揺らいでしまうように思えるからだ。
脳の情報処理方法が、インターネットの使用によって変化しているかもしれないと思いはじめたとき、わたしが感じたことがまさにこれだった。
最初はこの考えに抵抗した。
単なる道具を操っているだけで、脳内で起こっていることが長期的かつ深刻に変化しうると考えるなど、ばかげたことのように思われた。
だが、そんなふうに思うのは間違いだった。
神経科学者が発見したとおり、脳は ─ および、脳が生み出す精神は ─ 永遠に製作中の作品だった。
それはわれわれ個々人だけでなく、われわれという種全体についても言えることである。

本著を読んでいるとき、どのような脳でありたいのか、を自問していました。

以前の脳が恋しくなった。

第 1 章の最後を著者はこのように締めくくっています。
インターネットテクノロジーは定着の段階にきていて、その誘惑は多くの人にとって抗えない変化なのかもしれません。
現代社会において、インターネットを脳の外部の記憶領域として活用している方々がほとんどでしょう。
しかし、インターネットは同時に私たちの脳を作り変えていきます。

現在進行系で経験しているわたしたち世代は、マクルーハンの言説や、本著の主張に耳を傾け、その変化の存在を認識し注意を払うことはできるはずです。